核兵器開発の最中、ソ連の兵器用プルトニウム生産拠点周辺で、核廃棄物公害等により周辺住民に甚大な体内汚染が発生した。特にテチャ河の核汚染による流域住民のストロンチウム90による内部被曝は世界に他の例をみない災害となった。高田純は、2000年4-5月に現地を調査した。
1949年に、南ウラルにおいてソ連の原爆プルトニウムの生産が始まった。これは、内務大臣ベリヤが建設責任者としてつくられたソ連最初の核施設・マヤークである。ソ連のカザフスタン・セミパラチンスク核兵器試験場は、ここから東方1400キロメータと近い。
テチャ川沿いのムスリュモボ村で、多数の人体を測定することができた。その結果、1946年と1950年生まれの村民の歯から、高い計数率のベータ線を観た。ストロンチウムは骨や歯に蓄積され、長期間ベータ線を放射しつづける。