代表の高田純は世界の放射線被曝地を調査した。チェルノブイリ、セミパラチンスク、南ウラル、ロンゲラップなどの核災害地を歩き、独自の方法で計測し、放射線衛生を調べた。
終生の研究対象である核爆発災害の研究は、広島から始まり、セミパラチンスク、マーシャル諸島と現地調査が続いた。そして、とうとう隣国中国の核実験の調査となった。
日本社会が科学情報で混乱するなか、世界の核被災地を調査してきた放射線防護学の専門家である高田純が、同一手法で、震災一月以内に、福島の20キロメートル圏内を含む東日本の放射線衛生を調査した。