【参考文献】
高田純著「世界の放射線被爆地調査」(講談社ブルーバックス)
Jun Takada: Nuclear Hazards in the World,( Springer and Kodansha)
二十世紀最大の原子力発電所事故のあった1986年は、世界で最初にウランの連鎖反応の実験を成功させたシカゴ大学に滞在していた。原爆放射能医学研究所から、チェルノブイリからの放射性フォールアウトが日本へも届いているとの手紙を受け取ったが、まさかその後母校へ戻り、自らが調査をすることになるとは思いもしなかった。
1997年7月オブニンスクの医学放射線研究センター(MRRC)とのロシア・ブリャンスク州高放射能汚染地区へのフィールドミッションに参加した。笹川記念保健協力財団のチェルノブイリ医療協力事業の一環である。モスクワから南西90キロメータに位置するこの都市は、日本ではつくばに相当する旧ソ連の科学都市である。街の壁には、アインシュタインの有名な式(質量に光速度の2乗を乗じた値はエネルギーに等しい)が大きく描かれている。尚、1954年世界初の原子力発電所は、この地に誕生している。
ロシア最大の核汚染地のザボリエ村でいただいたキノコは、チーム一の料理人がフライパンで炒めてくれた。折角だから、ロシア一の汚染村からのキノコを食べる前に測定することを提案した。スペクトロメータの液晶画面にセシウムの存在を示す大きなピークを見た。一個あたり約千ベクレルのキノコは好い味だった。
翌朝、早速自分自身の体内放射能量を自ら、ホテル室内で測定した。1インチサイズの検出器は、人体測定用に校正してきていた。今回の自分の体の測定が記念すべき最初の使用だった。結果、私の体に4キロベクレルのセシウムが取り込まれたことが判明した。これによる内部被曝の推定は0.04ミリシーベルトである。
翌朝から開始した自らの体内に含まれる放射能セシウム137量の計時変化の測定は帰国後も続いた。その結果は、初期の4日間で半分になり、その後104日で半減するようにじょじょに、排出されていった。翌朝から開始した自らの体内に含まれる放射能セシウム137量の計時変化の測定は帰国後も続いた。その結果は、初期の4日間で半分になり、その後104日で半減するようにじょじょに、排出されていった。
放射能セシウム137は全身分布とこの短い生物半減期のため、造血器官に近い骨に沈着し、かつ長い生物半減期であるストロンチウム90やプルトニウムと比べ危険性は相対的に低い。
チェルノブイリ発電所事故による核災害における公衆の放射線被ばくの特徴はつぎのようにまとめられる。1)環境へ莫大な量の放射線性物質・約2エクサベクレルが放出された。2)半径30キロメータ以内の住民9万5千人が事故翌日から7日後にかけて緊急避難し、被ばく線量の低減化がはかられた。しかし住民の最大被ばく線量は、750ミリシーベルト、甲状腺線量は、30シーベルトに達していると推定されている。