ソ連の主な核兵器実験場は、北極圏ノバヤゼムリャとカザフスタン共和国のセミパラチンスクである。連邦全体で計969回、総出力285メガトンの爆発試験が実施された。ソ連が崩壊し、1991年に独立したカザフスタン共和国は、自国民の被曝調査のために、この実験場および周辺を外国人科学者へ公開した。
こうした中、広島大原医研チームは、この地の線量評価を中心に被曝の影響調査を1995年に開始した。広島長崎の線量測定に応用された熱蛍光法を、セミパラチンスク核実験場周辺の居住区で採取したレンガに適用し、積算外部被曝線量を推定した。
実験場周辺の住民が、長年の核爆発から放出された放射性物質のフォールアウトにより、総量として数百ミリグレイの外部被ばくを受けたことが、確認された。この線量評価は、過去の軍事データを一切利用していない、独自の測定結果である。