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太平洋マーシャル諸島

太平洋マーシャル諸島Radiation Protection Information Center

写真のタイトル1999年 7月ロンゲラップ環礁調査

写真のタイトルカバレ島のヤシ蟹のベータ線計測

【参考文献】
高田純著「世界の放射線被爆地調査」(講談社ブルーバックス)
Jun Takada: Nuclear Hazards in the World,( Springer and Kodansha)

広島と長崎に続いて、わが国にとって忘れられない核災害は、1954年(昭和29年)のビキニ被災である。この事件を知らなくても、女性の水着としてのビキニを知らない者はいないだろう。この名前の由来が、実はこの核実験の世界への衝撃にあるようだ。

1999年7月に、高田は、このビキニ水爆で発生した多量の放射性物質により被曝し、汚染した悲劇の島・ロンゲラップを調査する機会に恵まれた。島民たちは、1957年に、米国の安全宣言を受けて一度は帰島したが、その後、放射線を恐れて、1985年に島を脱出した。1998年再定住計画が米国との間で作成され、それに向けての工事が開始された。

1954年、最大規模の水爆実験15メガトンの放射性フォールアウトにより汚染し、被ばくしたロンゲラップ島。当時、島を脱出しなければ、全島民が死亡したであろう、最悪の放射線状態にあった。

海抜2メータ程と低く小さな島は、太平洋の高潮で洗われたのか、その後、7-10年くらいの環境半減期で、核汚染は清浄化した。当時、平方メータあたり恐らく数ギガベクレルあった島の放射能も、45年後には、十万分の一に減少した。核汚染による線量率をみると、被災の翌日毎時28ミリシーベルトあった環境も、45年後には0.02マイクロシーベルトと奇跡的に回復した。

1999年7月の独自調査の結果は、第一報告書として2000年10月に作成されて、ロンゲラップ島民に届けられた。環境の大幅な回復を示した結果は、島民にとって良い知らせである。北方の島々に対する未調査の問題は残るが、ロンゲラップ本島での生活に対する放射線リスクはかなり小さい。島民たちに、穏やかな未来が訪れることを願う。