実験場は、日本文化に大きな影響をもたらしたシルクロードの要所であった楼蘭の近くにある。日中の国交が1972年に再開し、日本人が好んで訪れる観光地でもある。筆者も、若いころに井上靖氏のシルクロードを舞台にした小説を読んでいたが、よもやそうした地で、中国が核実験を行っていたとは驚かされた。公共放送NHKでも、しばし、この地の文明の遺跡を紹介してはいるが、この種の話題に触れることはなかった。
高田は2004年に研究拠点を広島大学原爆放射線医科学研究所から札幌医科大学医学部へ移し、放射性降下物に対する風下地域の線量計算方式をはじめ、核爆発災害からの防護法の研究を推進した。そして2007年には、任意の威力の核爆発に対して災害の物理と人体影響を質および量的に予測する方法の原型ができた。この手法を、同年から2008年にかけて、世界で最も不透明な中国の核実験災害の評価に応用した。
爆発のゼロ地点からおよそ1000キロメートル離れたカザフスタンの地の線量に対して、本調査研究の結果とカザフスタン報告値と比較することで、本研究の確度を検証した。
3回のメガトン級の大型地表核爆発からの核の砂降下による線量の等高線は概して楕円形となる。その内、半致死以上のリスクとなるA地区の推定総面積は、東京都面積の11倍の2.4万平方キロメートルとなった。当時の平均人口密度の推定値6.6~8.3人/平方キロメートルとから、死亡人口は19万と推定された。また、白血病やその他のがんの発生および胎児影響のリスクが顕著に高まるBおよびC地区の人口は129万と推定された。