終生の研究対象である核爆発災害の研究は、広島から始まり、セミパラチンスク、マーシャル諸島と現地調査が続いた。そして、とうとう隣国中国の核実験の調査となった。
中国政府は第三者調査に対し現地を公開しないばかりか、長年、公式に実験事実および周辺影響を開示していない。調査としては極めて困難な状況にある。そうした中、現地訪問をしない形で、中国の核爆発災害の真相に迫った。それは、北西に国境を接するカザフスタン調査時に入手した科学報告書のデータを鍵にし、核爆発災害の科学理論による現地ウイグルの被害評価をするという手法である。
実験場は、日本文化に大きな影響をもたらしたシルクロードの要所であった楼蘭の近くにある。日中の国交が1972年に再開し、日本人が好んで訪れる観光地でもある。筆者も、若いころに井上靖氏のシルクロードを舞台にした小説を読んでいたが、よもやそうした地で、中国が核実験を行っていたとは驚かされた。
中国がメガトン級の大型核弾頭を含む核爆発実験を楼蘭遺跡周辺で強行する同じ期間に、およそ27万人もの日本人が当地を観光していた驚愕の事実が判明した。NHKは、当地の“中国の核実験”を承知のうえで番組を制作し、繰り返し長年にわたり、放送を続けてきた。
シルクロードから偏西風に乗って日本に降ってきた黄砂からは多量の放射能が検出されました。昭和時代の日本人の死体解剖での骨格からは、胎児や乳幼児も含めた、放射性ストロンチウムが分析されました。高田が、線量を計算すると、1~7ミリシーベルトとなりました。