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日本人は核といかに向き合うべきかRadiation Protection Information Center

高田 純 理学博士 札幌医科大学教授  放射線防護情報センター代表

人口爆発とエネルギー

浜岡原子力発電所の安全強化

高速増殖炉もんじゅ

■放射線アレルギーから脱却せよ
 
私は大学院生時代の論文で広島の「黒い雨」を取り上げたのを原点に、放射線防護学の専門家としてチェルノブイリ原子炉事故、アメリカ・ソ連・中国の核実験、東海村臨界事故など、世界の核災害の現地調査を行ってきました。X線や青色LEDの発見など、放射線が人類に与えたプラス面に焦点を当てるのが「陽の研究」だとしたら、私は世界で最もそのマイナス面に焦点を当てた「陰の研究」に取り組んできた一人です。
東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故においても、私は何度も現地へ足を運び、科学的な見地から調査を行ってきました。
しかし、結論を先に言えば、調査から明らかになったのは「福島では誰一人として放射線で亡くなっていないし、今後も放射線に由来した健康被害は発生しない」という科学的事実でした。
 しかし、世間では放射線の危険を煽るおよそ科学的事実に基づかない報道が繰り返され、住民の強制避難や原子力発電所の運転停止、東北地方の農水産の風評被害など、必要のない数々の悲劇を生み出してきました。そして、その悲劇はいまなお続いているのです。
本欄では、科学的な事実に基づいて、「私たち日本人は原発や放射線といかに向き合うべきか」を考え、日本が進むべき方向性を示したいと思います。
まず私たちは間違った情報に惑わされることなく、放射線に対する科学的な真実を知る必要があります。先の述べた福島での調査結果を少し詳しくご紹介しておくと、事故の一か月以内に検査した浪江町を含む六十六人の甲状腺線量の最大値は八㍉シーベルトと、チェルノブイリの被災者の一千分の一から一万分の一以下という、全く安全な値でした。
福島第一原発の被災レベルも黒鉛原子炉そのものが暴走したチェルノブイリとは全く違います。建屋こそ水素爆発で破壊されましたが、稼働中のすべての軽水原子炉の核反応は地震波を検知して自動停止しています。原子炉から外部へ漏えいした放射線の量もチェルノブイリに比べて千分の一にもなりません。福島はチェルノブイリにならなかったのです。
それにもかかわらず、なぜ放射線に対して、日本人はヒステリックに拒否反応を示したのでしょうか。私には、その日本人の“放射線アレルギー”ともいうべき状況は、主に広島・長崎の原爆、そして、一九五四年の第五福竜丸事件に対する科学的に誤った認識に起因しているように思われます。
広島・長崎では、原爆による放射線被害で多くの方が亡くなったかのように思われていますが、実際はその八十五㌫が爆発による衝撃波と熱線によって亡くなっているのが真実です。さらに、広島では原爆が爆発した五百㍍圏内に七十八人もの生存者がおり、調査の結果、死亡時の平均年齢は七十四歳、三人の方が九十代まで生存したことが明らかになっています。
 第五福竜丸事件でも、一般的にはアメリカのビキニ環礁での水爆実験による「死の灰」によって船員が亡くなったと信じられていますが、亡くなった船員十人の死因を調査してみると、治療時に肝炎ウイルスに感染した売血輸血を受けたことによる急性肝炎や肝がんなどが主因であり、放射線とはまったく関係がないことがはっきりと確認されました。私は水爆実験が行われたマーシャル諸島ロンゲラップ島にも調査に行きました。島民たちは米軍の駆逐艦により爆発の二日後に救出されました。しかし、第五福竜丸の船員の倍の線量を受けた島民であっても、当時の米軍医から「治療の必要はない」と、皮膚治療を受けただけで済んでいます。もちろん島民たちに急性肝炎はいません。
もう一つだけ例を挙げると、東京オリンピックの年に始まった中国共産党による兵器開発と地下資源開発のための楼蘭周辺での核爆発では、日本にも偏西風に乗ってかなりの汚染レベルの「核の黄砂」が降り注ぎました。しかし、その放射能を受けたはずの世代は世界一の長寿です。
要するに、人類は意外に放射線に強かったというのが、これまでの科学的研究の真実なのです。その理由としては、もともと生命は太陽が放出する放射線によって誕生したという事情があります。すなわち、人は放射線なしに生きられないのです。さらに、放射線の利用によるレントゲンやCT(コンピュータ断層撮影)技術などによって、人類の医療は格段に進歩し、特にCTの普及台数が多い国ほど、平均寿命が長いという研究結果も出ています。不必要に放射線を恐れる必要はないのです。

■迫り来る人口爆発  エネルギー危機

では、ここからは視点を変えて人類とエネルギーとの関わりを中心に見ていくことにしましょう。
いまから二千年前の人類の人口は約三億人でした。そこから農耕技術や科学技術など、文明が発達していくにつれ、計画的に食糧を生産・管理できるようになったことで人口は少しずつ増加。そして、ヨーロッパで産業革命が起こり、石炭火力を動力とした黒船が日本にやってきた頃には、世界の人口は一気に九億人にまで達します。
黒船がやってきた背景には、エネルギー資源の確保がありました。人口が増えると、それだけの食糧や生活必需品の生産が必要になります。その物資を生産する工場を動かすためにエネルギー資源を安定的に確保し続けなければならないというわけです。それが暴力的な収奪になったのが植民地主義であり、帝国主義戦争ですが、歴史を省みると、科学技術、新しいエネルギーの発見は、文明を発展させもするし、悲劇を生む要因ともなってきたことが分かるでしょう。
二十世紀に入り、石油や核エネルギーが発見されたことで、人類の生活はさらに便利になり、人口は飛躍的に増加。現在では七十億人を突破するに至りましたが、当然その人々の生活を安定させるためには莫大なエネルギー資源を使用し続けなければなりません。 
しかし、現実はどうでしょう。ある調査結果によると、各エネルギー資源の可採年数は、石油四十二年、石炭百二十二年、天然ガス六十年だと言われています。そういう意味では、二十一世紀という時代は、科学的には“人類の危機”とも捉えられるのです。
まだ石炭があるじゃないかと思われるかもしれませんが、化石燃料を消費するリスクは相当高いということは知っておく必要があります。このまま、化石燃料を大量に消費し続けていけば、地球の温暖化が進展し、気温の上昇やハリケーンの発生などの異常気象による経済的損失は無視できないレベルになってくるでしょう。 
また、化石燃料を使用することによる公害被害も深刻です。特に中国では、喘息などの疾患で毎年多くの人々が亡くなっています。 
いま注目されている太陽光発電でも、結局ソーラーパネルを製造したり、輸送したりする際に大量の化石燃料を使用するため、全く環境リスクがゼロというわけではないので注意が必要です。
 それに比べて、原子力発電の原料となるウランの可採年数は、一説によると約一万年と見積もられています。しかも、このウラン元素をすべて燃やして百㌫無駄なく利用する理論は、戦前に活躍した天才物理学者・彦坂忠義によってすでに発見されています。その理論を応用したものが高速増殖炉「もんじゅ」に他なりません。
文明の維持と平和の観点からも人類は核エネルギーに活路を開いていかなければならないのです。

■いまこそ科学立国日本の出番

最後に、日本が放射線の正しい知識の普及と活用にどのような貢献ができるかを考えてみましょう。
東日本大震災で安全性に懸念が示された日本の原子力発電技術ですが、実際には、震源地に一番近かった青森県女川原子力発電所は被害なく安全に停止、福島第二原子力発電所、東海原子力施設も大きな被害なく生き残っています。
確かに、福島第一原子力発電所は悲劇でしたが、ここも地震発生後に地震波を検知し、稼働中のすべての軽水原子炉の核反応は自動停止しているのです。問題は、津波対策の不備によって冷却機能が失われた点にあるのであって、却って日本の軽水炉の格納容器の強度、耐震性能の技術は非常に高いことが明らかになりました。
日本の技術力ならば、今後大津波の防護対策技術を開発していくことは不可能ではありません。事実、日本の原子力発電所は大震災後、さらなる耐震性、津波対策の強化に取り組んでいます。その一つが中部電力の浜岡原子力発電所です。いまここで、世界に類をみないものが造られています。
発電所の周囲には、高さ二十二㍍、全長一六〇〇㍍にも及ぶ防波壁が設置され、万が一、その壁を津波が突破した場合を想定して、原子炉建屋大物搬入口外側の扉は一㍍の厚みがあり、漁船などの漂流物が激突しても耐えられる頑丈さで造られています。さらに、原子炉建屋大物搬入口内側の扉も厚さ八十㌢、水密性のある計四重の扉からなっており、津波の進入から原子炉内部を護れる構造になっているのです。問題の原子炉の冷却水並びに冷却用電源も、高台に多重に確保する予定で、現在大規模工事が進んでいます。
この工事が無事に終われば、間違いなく、原子力発電所における災害対策としては、日本が誇る世界一の技術になるだろうことを私は疑いません。まさに、「もんじゅ」と合わせて、人類は二十一世紀に“核を制する”のです。
繰り返しになりますが、この二十一世紀は化石燃料の枯渇による人類の危機に直面しています。石油がなくなってしまえば、再び資源争奪による第三次世界大戦に発展する可能性があります。そうなる前に、私たち人類は核エネルギーに活路を開いていかなければなりません。そして、その先頭を切るのは日本人であるべきです。
二十一世紀において、日本はアメリカに次いで世界第二位の自然科学分野のノーベル賞受賞数を誇り、科学立国としてエネルギーと核放射線技術の先端を走ってきました。そして、日本はアメリカによって二度も核爆弾を落とされ、二十万人もの人々が即死に近い形で亡くなり、福島第一原子力発電所の事故でも、風評被害で多くの方々が故郷を失う、作った農作物が売れないといった悲劇も味わってきました。この悲劇を克服し正しい科学的知識をもって人類の未来のために核エネルギーを普及させていく。それこそが、日本人が進むべき道であり、責務でもあるということ私は強く信じるのです。

参考文献
・高田純 「世界の放射線被曝地調査」 講談社 2002.
・高田純 「増補版 世界の放射線被曝地調査」 医療科学社 2016.
・高田純 「核爆発災害」中公新書2007、復刻版 医療科学社2015.
・中川八洋、高田純 「原発ゼロで日本は滅ぶ」 オークラ出版 2012.
・高田純 「中国の核実験」医療科学社 2008.
・高田純 「核と刀」明成社 2010, 復刊 放射線防護情報センター 2013.
・高田純 「21世紀人類は核を制す」 医療科学社 2013.
・高田純 「人は放射線なしに生きられない」医療科学社 2013.
・高田純、モハン・ドス、服部禎男 「放射線0の危険」医療科学社」2014.
・高田純 「決定版 福島の放射線衛生調査」医療科学社 2015.  

高田 純 理学博士 札幌医科大学教授 医学研究科放射線防護学指導教授 2015年8月6日

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