宮城沖を震源とするマグニチュード9.0巨大地震と大津波によってもたらされた大災害は、東日本の太平洋側およそ500キロメートル一帯を地獄に陥れた。大堤防を破壊して陸域に押し寄せた大量の海水が町や畑は水没させ破壊しながら多くの人々を飲み込んだ。死者行方不明者はおよそ2万、推定経済被害16兆円を超えた。正に平成の国難である。
大津波に襲われ冷却機能を失った福島第一原子力発電所では炉心が高温になり発生した水素ガスが、3月12日に原子炉建屋内で爆発し、周辺環境にヨウ素、セシウムなどの放射性物質が漏洩し、政府の指示で20キロメートル圏内の住民およそ6万人が緊急避難した。
日本社会が科学情報で混乱するなか、世界の核被災地を調査してきた放射線防護学の専門家である高田純が、同一手法で、震災一月以内に、福島の20キロメートル圏内を含む東日本の放射線衛生を調査した。
2012年2月4日、浪江町の牛農家とともに、20km圏内の調査を実現しました。それは、前年4月の最初の調査で偶然、現地で遭った元浪江町議会議長の山本幸男氏から届いた年賀状から始まりました。二人は、牛舎の中で倒れていた牛に、水を与えた仲でした。