タイトル画像

新着情報

スターリンによる核武装とソ連抑留日本人の運命Radiation Protection Information Center

世界大戦が2度あった20世紀。その後半は、アメリカとソ連の間で、人類文明を破却しかねない核兵器開発を軸とした激しい冷戦があった。ソ連崩壊後の21世紀、アジアでの共産党独裁2国、チャイナは核武装を背景とした太平洋への覇権拡大戦略、朝鮮は核武装化に向かっている。
今回、高田純は旧ソ連の核災害地の調査を背景に、昭和20年8月、満州からシベリアへ抑留された日本人元将兵多数が、ソ連の核武装計画に巻き込まれていたとする論考をまとめた。
対ドイツ戦で疲弊していたソ連、米国に4年遅れたが、スターリンは核爆弾開発を決断した。ソ連陣営は、国内の囚人となった政治犯、ドイツ兵士捕虜、そして終戦直後にソ連へ抑留した日本人を無給労働力として利用しながら、核武装化に最大の資源を投入した。その背景に、共産党一党独裁の権力の土台となる全土に配置した矯正という名の強制収容所があった。2万人を超す日本人ソ連抑留行方不明者の謎に迫る試みである本研究から、核武装にむけた強制労働で多数の日本人が犠牲になった描像が浮かび上がった。
第一報は、WiLL 7月号 ワック社 2018年5月26日発売

    日本放射線影響学会第61回大会長 崎2018
セミパラチンスク核実験場における土木作業員たちの線量推計
高田純  札幌医科大学 物理学

ポリゴンと呼ばれた、カザフスタン北部に位置するソ連のセミパラチンスク核実験場は、四国に相当する広大な面積の境界には鉄条網が張り巡らされた。その中に、道路、実験観測のための塔や地下の防爆施設、地下鉄を模擬するホーム、原子炉などを、短期間に建造するので、膨大な労働力が必要だった。カザフ放射線医学環境研究所所長のボリス・グゼフによると、「核爆発によるダム建設では、多数の労働者が死亡した」 。米国に4年遅れたが、核爆弾開発を決断したソ連陣営は、国内の囚人となった政治犯、ドイツ兵士捕虜、そして終戦直後にソ連へ抑留した日本人を無給労働力として投入した。ロシア政府が日本へ提供した資料によると、ポリゴン周辺に3万人前後の日本兵捕虜収容所がある。
核湖の土手の放射線は、1995年調査時で、毎時20マイクロシーベルトだった。水爆だがプルトニウムの核分裂エネルギーを利用しているので、クレータには核汚染が長期に残留する。全放射能の減衰関数は時間のマイナス1.2乗に比例する。クレータ核爆発30日後の空間の線量は毎時26ミリシーベルトと推定された。囚人や抑留された外国人が現場で毎日10時間作業したと仮定し、人体の自己遮蔽も考慮し、人体が受ける線量が計算できる。初期の放射能の減衰を待って作業が始まったとすると、2月、3月、4月の月間線量(シーベルト)は、3.5、1.8、1.2の高線量を作業員たちは浴びたことになる。瞬時で4シーベルトを受けると半数の人が死亡するリスクなので、この人工湖工事は全く危険だった。グゼフ所長の証言「多数の作業員が死んだ」は裏づけされた。

Dose estimation of civil workers in Semipalatinsk nuclear test site
TAKADA Jun Sapporo Medical University Physics

Get Adobe Reader

※ PDFファイルをご覧頂くにはAdobe Reader日本語版が必要です。お持ちでない方は上のボタンをクリックし、手順に従いダウンロード(無償)して下さい。