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連載 ガリレオの休日Radiation Protection Information Center

ある物理学者の休日

月刊「鶯乃声」で、平成27年3月号から連載の高田純のエッセイを、ご紹介します。 全文は下部にリンクしていますので、お読みいただけたらと存じます。

ガリレオの休日

「私自身、車の運転と大自然が好きなので、何かに理由をつけて郊外へ飛び出し、休日に走り廻ります。美しい自然の姿に感動し、風物を楽しみ、意外な歴史に触れるわくわく感があります。最後に温泉宿でくつろぐ。これらがセットになったのが、私の標準的な休日です」 ある物理学者の休日って、こんな感じです。

2年前の三内丸山遺跡の時は、なぜか、”月曜から夜更かし”に突然、私が登場しています。

トピックス
☆ 幻想しかりべつ湖アイスコタン2016 動画は下記にリンクしています。

第十八話 ケープタウン会議 福島はレベル6

4年に1度開催されるオリンピックのような放射線防護学の国際会議が、今回南アフリカで開催され、片道30時間かけて、行ってまいりました。私が線量専門家150人を前に福島がレベル6と報告し同意されたのでした。

第十七話 1万年間の家賃
 昨年6月のある週末のことです。内陸の北竜町から、昔、鰊漁で栄えた港町の留萌を抜け、北上する行程で車を走らせました。時間に余裕があって、幌延にある使用済み核燃料の深地層処分研究施設に立ち寄ったのです。その付近は何度となく、行っているのですが、その時が初めてになります。

第十六話 ロシア科学から理解する福島
 福島県と国が実施する震災後の小児甲状腺がんの超音波エコー検査からは、放射線が原因のがんの増加は見つかっていない。見つかった甲状腺がんは、震災以前から存在する線量に比例しない症例である。

第十五話
 10年後 ひまわりの舞台  
 9時40分チェルノブイリインターインフォームへ到着した。毎時0.17マイクロシーベルト。ここで所長からゾーンの概要説明を受けた。チェルノブイリ町の教会、10時20分着、毎時1.1マイクロシーベルト。この教会でも今月14日の復活祭が催されるのだろうか。


第十四話 1986年の衝撃
 シカゴ大学に留学していた年にあったチェルノブイリ黒鉛炉事故

第十三話 牛との再会
 平成24年3月立ち入り禁止浪江町に2泊3日したあったか調査

第十二話 黒曜石、見いつけた!
多数の黒曜石の核が、白滝村から三内丸山へ、5千年も前に輸送されていたのでした。輸送には河川や海路があったと想像します。白滝村は山間の谷にあって、湧別川が東のオホーツク海に流れています。複数の河川を組み合わせれば、津軽海峡を渡って、青森湾の奥の海岸線に近い、三内丸山村へたどり着くのではないだろうかと、仮説が浮かぶのでした。     ‹Œ

第十一話 船堀ラジウム砂風呂温泉体験記です。エネルギーの吸収を実感できます。

第十話 震災のあった6月に南相馬大町病院の要請に応えた、体内放射能検査とセミナーの実施について。

第九話は、 震災のあった4月10日の福島第一原発前に立った時の調査です。
福島県に入り3日目です。 私たちは2日間、炉心が溶け、核分裂生成物の一部である揮発性核種を放出した福島第一原発の極近傍にまで接近しました。それでも積算線量は、0.1ミリシーベルトです。これは、調査旅行に出発する前の予想を大幅に下回る値です。

第八話は 震災の年4月に出会った浪江町の元気な牛のはなしです。

第七話は、福島緊急時の放射線現地調査です。
  「福島と神様」
20km圏内の浪江町から二本松市へ避難した人たち200人のうち、70人が太田住民センターに集まっていました。希望者40名が、私の甲状腺の線量検査を受けました。

第六話は、東日本放射線衛生調査への出発です。
 「震災元年4月、現地へ出発」
4月6日、JR北海道の特急スーパー北斗10号で、単身、札幌を出発しました。比較的、空いていました。車内で線量率や積算線量を測定し、手帳に記録します。

第五話は、2011年の震災当日の東京の事です。
 「あの日、東京で」
3月11日、私は千歳空港を10:30、全日空機で飛び立ち、羽田空港に12:10、定刻に到着。空港内で蕎麦を食べ、いつものように京急に乗りました。途中、都営地下鉄三田線に乗り換え、春日駅で下車し、14:00、ビジネスホテルにチェックインしました。
 晩のテレビニュースで、私は「太平洋側の全原子力発電所の核分裂連鎖反応の自動停止」を確信しました。もし、原子炉反応が、地震で暴走したならば、原子炉が一機に崩壊し、原子炉建屋が吹き飛び、テレビニュースになったはずです。しかし、そうした大規模な事故の発生は、どのテレビも報じませんでした。そのことで、それは無かったのだと、確信したわけです。
 全文は、下記にリンクしています。

第四話6月号は福島の最新の話題です。
 ~迷信ではなく科学を~
 震災から4年経過した3月の福島縦断調査です。

「 Œ3月 4日JR上野駅発の下り常磐線特急の自由席車両は、日曜の午前のせいか、人はまばらでした。目的地は、南相馬市の原町です。しかし、福島第一原発20km圏の竜田~原ノ町間が、4年経った今も不通です。地震と津波で相当な被害を被った三陸鉄道が、2014年4月6日、全線で運転を再開したのに、福島はどうしたのか」
続きは、下記にリンクしています。

第三話5月号は北海道の歴史調査が題材です。
~日本文明の形成に大きく関わる海路~
北海道にあった藤原氏の金山の話です。

「北海道で最も古い記録にある道南の温泉を目指して、車を走らせました。古いといっても明治や江戸時代のことではなく、もっと大昔のことです。そこは函館の南西、松前に近い知内です。2013年9月の週末、道南の活火山の駒ヶ岳の麓の大沼湖畔に前泊しました。当日は小雨で、暑くもなければ寒くもない天候でした。函館湾に面する国道228号を、左手前方に津軽半島竜飛岬を遠くに眺めながら走ります。木古内を通過し、知内町の山手に入ると、11時に目的地に到着しました」
  つづきは、下のPDFにあります。

第二話4月号はビキニ被災の現地査が題材です。
「1999年7月3日のことです。 成田空港から夜、南方の太平洋に浮かぶ小島をめざし飛び立ちました。現地に詳しい写真家の島田興生さんたちと一緒です。目的地は、ビキニ環礁の東方170キロメートルにあるロンゲラップ環礁。米軍が、昭和29年(1954)3月1日未明にビキニで行った大型水爆実験から噴き出した核の灰が被った島です」 続きは、下記の「美しい南の島のゆくえ」にリンクしています。

第一話3月号は放射線温泉の調査です。
「2年前のお正月休みのことです。札幌の自宅を車で出て、道南へ向かいました。もちろん、真冬ですから、どこもかしこも、白銀の世界です。目的地は、長万部の二股山にある温泉宿です。ラジウムによる温泉療養が売りで、全国的に有名です。その放射線調査をするのが、今回の目的です」

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